コンテクストを前提としたマニュアルはユーザー離れを起こすだけ

伝わるマニュアルの作り方

はじめに

マニュアル作りについて学んでいくと「コンテクスト」という言葉に出会います。コンテクスト(コンテキストとも言う場合があります)は、おもに文脈という意味合いで使われることが多いです。
文脈とは、文章の前後関係であり、その文章の背景を捉えること、と言う感じになります。
文章の背景、それはその文章がつくられている理由であったり、そのような文章になる社会的、歴史的背景だったり、またはその文章を書いた人自身のことだったり、となります。

つまりは、その文章を読む際には、「その文章がつくられた意味わかっているよね?分かった上で読んでよ」と読者に強いる、とも言えるのではないか、と個人的には思っています。

日本語は、他の言語に比べて、コンテクストの度合いが強い言語であると呼ばれています。
島国であり、その言葉を使う人が限られている、などから、同じ文化的、地理的背景を持った人たちが使う言語のため、「言葉で全て伝えてなくても、わかりあえる」ことが背景となっている言語です。

たとえば、明確な主語、述語などがなくても、文章として成り立ってしまう、という部分が際たる例です。英語であれば基本の5つの文型があり、(SNSなどでは異なるとは思いますが)それらに則っていないと、文語の場合、内容は伝わりません。
ただし、日本語はそうではなく、曖昧な文章であっても、成り立ちます。
主語や目的語が省略される文章が多く使われるからです。
「今日食べる?」のような文章です。ここには、「今日」という名詞、と「食べる」という動詞しかありません。が、きっと私たちであれば、

きっとこの文章は、お母さんが、子供に対して、今日の夕ご飯は家で食べるの?って聞いているんだろうな、と推測します。このあたりが、文脈、つまりコンテクスト、となります。

日本人は、昔から同じような場所で、同じような暮らしをしてきたため、こういった日常の背景を共有しやすい、という前提があるから、推測できるのだと思います。

しかし、海外で、多種多様な文化が集まる国などの場合、いくら同じ言語を使っていたとしても、同様の背景を持っているわけではないので、上記のような文章は通じない、となります。

取説はコンテクストなしで成り立つもの

基本、取説はコンテクストなしでも成り立つものです。

背景や文脈を考えなくても、誰でも、内容がわかる、そのように作るものが取説です。

たとえば、とある商品の使い方を説明してある文章があるとします。

・リモコンの「電源」と書いてある赤いボタンを押してください。テレビの電源が入ります。

この文章には、動作の主体となる「主語」は省略されています。が、ここでいう「主語」は、その商品を使っている、つまり、この取説を読んでいる「あなた」になるため、省略されても大きな問題はありません。わかりきっているからです。

ただ、上記において、2つのポイントがあります。

1つ目のポイントは、対象のボタンに対して、「電源と書いてある」ということ、そして「赤い」という2つの情報を入れていることです。
ここで、2つのヒントを入れることで、対象のボタンを探しやすくしています。

2つ目のポイントは、この動作の結果、「テレビの電源が入ります」と、念押しの説明をしていることです。おそらくこの文章の前には、タイトル的に「テレビの電源の入れ方」という文章が入ってたと考えられます。それでも、再び、この動作の結果を紹介しています。

ここにおいては、取説を作る人が、ユーザーに対して考えてしまう

・だいたい「電源」って書いてあるボタンがどこかは、すぐわかるだろう
・テレビの電源の入れ方についての項目を読んでいるんだから、動作だけ説明すればわかるだろう

というような思い込みを説明文には持ち込まず、極力丁寧な説明を行っているのです。

基本、取説は、このようにつくられてきたため、コンテクストなしで成り立つものではあります。

しかし・・・

取説の簡易化により過剰なコンテクスト主義が感じられるようになった

最近の商品においては、取説が簡易なものが増えてきています。ペラ一枚と言うだけでなく、そのペラの大きさがA5サイズ程度、ということもよくあります。
海外商品の場合は、1つの取説に、複数言語での記載となっていることも多いですが、書いてある内容は本当にわずかで、「これでは使い方がよくわからない」ということばかりです。

あとは家具の組み立て方の取説などは、IKEYAの影響もあるのか、ほぼイラストだけで構成されているものが多いですが、正直、使いづらさを感じます。
どこが使いづらいのかと言うと、各部品の方向や、ネジなどを止める位置などがわかりづらいのです。イラストだけで構成されていることで、文章による補足がなく(または少なく)、取説だけ見てだと、家具の組み立てに慣れていない人は、組み立てに苦労すると思います。
私などは不器用なので、組み立ての際、いつもイライラします・・。

なぜこのようになったのかといえば、「コストが削られているから」だと思います。

制作コスト、印刷コスト、それらが取説制作においてどんどん削られています。

結果、取説はシンプルになり、「丁寧な説明」ではなく、「この商品を買ったあなたなら、この程度はわかるでしょ?」という過剰なコンテクストを求めた説明になっています。

わからなければ、自分で動画を探すでしょ? SNSで解決策探すでしょう?AIに頼るでしょ?そんな丸投げ感、最近の取説で感じること、あります。もちろん、全てではありませんが。

丁寧な説明がこれからは必要

日本においても、これから様々なバックボーンを持つ人、様々な環境化にある人、が増えてきます。高齢者、海外からの移住者の増加、独自な考え方を持つ若者の増加、など。

それぞれは正直、分断してくるでしょう。日本という、共感を持ちやすい文化を持つ国であったとしても、同じようにコンテクストを理解することは難しくなると思います。

そうなったとき、可能であれば、それぞれの人に合った取説を提供できれば良いとは思います。

あなたには、この取説。あなたには、この取説。のような。

しかし、それは現実的ではないでしょう。

となると、やはり今一度、丁寧な説明に立ち戻り、たとえ文章量が増えたとしても、コストがかかったとしても、誰もが理解できる文章、ビジュアルを入れていくべきではないでしょうか。

ただしその際、取説の作り手は、頭をひねって、「どのようにすれば伝わるのか」というアイディアを生み出し、形にしていかないといけません。

といいますか、それが、取説の作り手が生き残る術ですし、楽しい部分だと思います。

最後に

読みづらい取説は嫌いです、無駄に文章が多い取説も嫌いです。しかし、極限までいろいろな説明を削る、もしくは省いて、ユーザーのことを考えていない取説はもっと嫌いです。

そのような取説は、ユーザーにとっても、メーカーにとっても、よい影響をうみません。

今こそ、丁寧な説明に立ち戻ってはいかがでしょうか?

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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